■ ペルとのお別れ −後編  お別れ ■

 

ペルの糖尿病治療4年目のある日、ペットシーツに赤い尿のシミができていた。

血尿だ。

糖尿病は腎臓に負担がかかるらしく、年に1度はこの症状が出ていたが、

頂いた薬を服用させれば、いつもすぐに良くなっていた。

今回も早くおさまるといいな。そんな風に思っていた。

だがこの時は違った。数日内服を服用させても、血尿は続いた。

やがて食欲が少しずつなくなっていった。

ペルは17歳を迎えていた。

 

昼間、ペルを動物病院に預けて、長時間かけて点滴をすることになった。

朝、母がペルを連れて行き、私が帰りに迎えに行った。

その治療を数日続けたが改善せず、とうとう24時間点滴が必要になり、ペルは入院した。

私は毎日、昼休みと帰りにペルに会いに行った。

病院に向かう度に思った。「今日こそは元気になっているかもしれない。」

 


 

現実は違っていた。ペルの容体は一向に良くならなかった。

日曜日、病院は休みでも面会はさせてもらえるとの事で夕方出向いたが、

何度チャイムをならしても応答がなく、仕方なく裏手に回って窓から入院室を覗くと

ケージの中にちょこんとお座りをしているペルが見えた。

窓越しに私が名前を呼ぶと、ペルは嬉々として立ち上がりドアに夢中になってしまった。

私が面会にやってきたと思ったのだろう。声の方向ではなく、ドアを見つめながら

ケージの中をぐるぐる回っていた。

呼んでも呼んでもこちらには気付かないので、私はまた明日ね、と笑って病院を後にした。

夜になって院長先生から容体について電話をもらったが、

今から行きたいとは言いにくい雰囲気だったことと、

元気そうな様子を自分も見たことで、その夜の面会は我慢した。

 


 

翌日病院に面会に行き、私は愕然とした。

昨日はあんなに元気そうに見えたペルが、ぐったりとして人形のように…。

「治療は限界です。おうちで過ごさせてあげて下さい。」

 

それでもまだ私はペルが死ぬとは思えなかった。

子供の頃からずっと一緒だったペル。

そのペルがいなくなるなんて、想像もできなかったからだ。

私のベッドのすぐそばに寝床を作ってやり、そこにペルを寝かせた。

夜中にペルの鳴き声で目を覚ますと、ペルは私のベッドに上がってきていた。

低いベッドだったが、体を起こすことさえできないペルが自力で上ってくるなんて、

容易ではなかったはずだ。

布団をめくってやると、ペルは這うようにして私の横に入って寝転んだ。

こうして朝まで一緒に眠った。

 


 

ご飯が食べられなくなったペルの点滴をやめれば、その先には死しかない。

ペルは次第に弱っていった。意識もあるのかないのか分からない程になった。

毎日夕方に診察を受けに通い、先生からは安楽死についても説明を受けた。

「ペルは今苦しいんでしょうか?」

「意識が朦朧としている状態なので、何も分からないと思います。」

「苦しんでいないのなら、安楽死は望みません。」

 

それから2日後の夜、

ペルが寝ているそばで、私は職場の人にメールを書いていた。

毎日定時にあがらせてもらい、迷惑をかけていたからだ。

ペルは大きくおなかを膨らませながら呼吸していた。

 

メールを書き終えペルを見た時、私は目を疑った。

あんなに大きかったペルの呼吸が、
嘘のように小さくなっていたのだ。

頭をなでながら「ペル!ペル!」と呼ぶと、

ペルは前足をぐーんと伸ばして大きなノビをし、ふーっと息を吐いた。

それがペルの最期だった。



 

こうしてペルは旅立った。1999年4月29日のことだった。

17年間、ペルと一緒に過ごせて私は本当に幸せだった。

ペルもそう思ってくれているだろうか。

いつか虹の橋でペルに再会した時に叱られないよう、

ジュリーを大切に育てたいと思う。